「ナスD」こと友寄隆英さんはテレビ朝日のエクゼクティブ・ディレクター。
「部族アース」や「ナスD大冒険TV」に自ら登場して体をはって注目されてきました。
この記事では、
友寄隆英(ナスD)の大学は茨木大学!テレ朝にどうやって就職した?
と題して、友寄隆英さんの学歴や、テレビ朝日に就職できた理由について詳しくご紹介します。
友寄隆英(ナスD)の大学と学歴

ナスDこと友寄隆英さんの学歴を詳しく見ていきましょう。
小学校・中学校時代
友寄隆英さんは1975年に兵庫県で生まれました。
小学校は兵庫県内の学校でしたが、校名などの詳細は明らかになっていません。
小さい頃から動物が大好きで、小学校時代のあだ名は「動物博士」だったそうです。
中学校は、岡山県の私立・岡山白陵中学校(偏差値64・やや難関)に中学受験をして入学。
兵庫県から岡山に移り、寮生活を始めました。

岡山白陵高校での高校時代
高校は中学と同じ系列の岡山白陵高校(偏差値73・超難関)に内部進学しました。
この高校は1976年開校の私立高校で、学生寮が充実していることから県外からも多くの学生が進学することで知られています。
現在では岡山県内でも屈指の進学校で、東京大学、京都大学、大阪大学、早稲田大学など多くの難関大学に合格者を輩出しています。
高校時代の友寄隆英さんは目立つタイプではなかったそうですが、クラスメイトのものまねをよくしていたとのこと。
「面白いことに対してストイックで、興味があることはじっくり考察して、おかしく語ってくれる」
と同級生は振り返っています。
また、高校時代の友寄隆英さんは黒魔術ができたそうで、クラスメイトにマジックを披露して驚かせていました。
ユニークすぎるエピソードですね。
獣医をめざして茨城大学農学部へ
友寄隆英さんは高校卒業後、茨城大学農学部(偏差値48・普通)に進学しました。

インターネット上では東京大学や和歌山大学が出身大学という誤った情報も見られますが、友寄隆英さん自身が茨城大学出身であることを明かしています。
大学生時代の友寄隆英さんは当初、獣医師になることを志望していました。
ですが実は、大学時代には劇団に入団して活動をして、俳優を目指すようになりました。
卒業後は俳優を目指して様々なオーディションを受けましたが、残念ながら合格には至りませんでした。
友寄隆英(ナスD)のテレ朝就職のヒミツ

そんな友寄隆英さんがテレビ朝日に就職した経緯を見ていきましょう。
大学生からのテレビバイト
友寄隆英さんは19歳の頃から日本テレビの『珍プレー好プレー』などの番組で製作会社のアシスタントディレクターのアルバイトを始めました。

親からの仕送りがなかったためバイトを始めたと語っていますが、これが後のキャリアの基盤となります。
「フリーでやってたから、バイトから入って、それこそADは制作会社でやって。ワイドショーもやったし、スポーツもやったし、バラエティーもやったし、VP(ビデオパッケージ)もやったし」
と、多様な番組制作に携わった経験を持っています。
そして24歳の時にはすでにディレクターになるという早熟ぶりを発揮しました。
大学卒業後はフリーのディレクターとして活動しながら、俳優の道を模索しましたが、結局は諦めたのでした。
テレビ朝日入社とブレイク
友寄隆英さんは俳優になることを諦め、28歳だった2003年にテレビ朝日に入社します。

バラエティ番組「いきなり!黄金伝説。」の企画「一ヶ月一万円生活」や「無人島0円生活」などを手掛けて、このテレビ番組を人気番組に育て上げました。
友寄隆英さんの信条は「演者にやらせる前に自分でやってみる」です。
実際に「いきなり!黄金伝説。」ではロケを行う前に自らロケーションハンティングを行い、無人島生活を実際に行ったほどです。
友寄隆英さんはディレクター、プロデューサーを経て、ゼネラルプロデューサーにまで昇進しました。
まとめ:友寄隆英(ナスD)の大学と就職
友寄隆英さんは岡山白陵高校(偏差値73)という超難関校から茨城大学農学部(偏差値48)へと進学するという珍しい経歴の持ち主です。
もともと獣医師を目指していた動物好きな少年が、俳優志望を経てテレビディレクターになるという異色の経歴も魅力的です。
友寄隆英さんの学歴と経歴から見えてくるのは、
常に好奇心を持ち、自ら体験することを厭わない姿勢こそが成功への道
であるということかもしれません。
今後も友寄隆英さんの活躍から目が離せません。

